Sさんが消えた日 ― 2018年10月21日
生きていると、めちゃくちゃ悲しいこともあるんだな・・・・

「〇〇会に行くね!」と、Sさんにメールをしていたので、絶対来ると思ったのですが、いつも頻繁に来るメールが来ません。なんか変だなと思いながらでしたが、何か用事でもできたのかと思っていました♪
キャンプで、いろんな料理をしてくれて以来、仲良くなりましたが、たまに嫌なコメントを書かれたりすると、それは嫌だよ~~とかも言ったりできるようになり、いろいろ教えてもらいたいと思っているところでした。
お話会の飲み会が終わった後で、数名で場所を変えることになりました。深刻な話があるようですが、地獄耳なので、もう聞こえていました。
Sさんが亡くなったのです・・・
「穂高に登山に行って、天候が悪くなって、救助を読んだけど、間に合わなかったらしい・・・詳しいことは何もわかっていない」という報告がありました。信じられないです・・・。
私は「穂高じゃなくて、奥穂高に行ったんですよ!それも、ジャンダルムという山で、山小屋から写真送ってもらいましたもの」
そう言った瞬間に、私の携帯をみんなが勝手に見ていました( ̄▽ ̄;)
ニュースにもなって、いろんな心ないコメントがあり、事実や、その人の人柄を分かっていない人たちが、女性であることや年齢だけで、ひどいコメントを書きまくるやつらは全員バチが当たれ!!と思いました。呪ってやる!!とかも思いました。
Sさんは、いろんな山に行った写真を私に送ってくれていました♪本当にすごい山ばかりに登っているんです♪私が富士山に2日かけて登ると言ったら、自分は、4時間で登って帰って来ることができると言っていました。今度、インド人の人たちをリードして登ることも話していました。
強いし、体力もあるし、すごい人だから、山で遭難するわけがないと思っています。
BMWのバイクに乗っていて、ツーリングの約束もしていました♪ツーリングに行った時の写真も送りあっていました♪私たちの女子の集まりはいいな~~っていつも言っていました♪私が作ったチュニックのことを「割烹着だ!!」と言って、違うもん!!と、私にだいぶ言われた時には、反省していたようだったな・・・( ̄▽ ̄;)
昔、山に連れて行かれた友だちがいます♪その頃は私も登山をしていました♪友だちが山に連れて行かれて以来、登山靴もシャツもすべて処分して、二度と山に登らないことにしました。その山のそばに行くと頭が変になりそうになるので、絶対行かないようにしていました♪日記も全部捨てて、すべて記憶からも消して距離を置きました。そうすることで、自分をどうにか保つことができたのです。今思えば、どうして、あんなにショックだったんだろうと思ったりです。若くて純粋だったとかではなく、何か山の霊魂に取りつかれたみたいになちゃったんですよね!
誰も信じられないと思うけど
富士山に登ったのは、いろいろなものを受け入れられる年齢にもなり、過去のことにこだわらず、前向きに生きている証でした。今思えば、怖いと思うことで妄想がどんどん広がって、ありえないものも見えて来たり、そんなだったのかもしれませんね!
Sさんが山に連れて行かれてしまったのは事実のようなのですが、なんだか信じられない気持ちです。無事に迷わず天国に行けますように!
ペンシルバニアからの手紙 ― 2013年08月08日

私の父は、北海道の牧師さんでした。大好きな父は、私が8歳の時に病気で亡くなりました。
母1人、子ども4人で暮らしていましたが、父がいない毎日は、母にとっては、私たちが想像を絶するほど大変だったろうし、私たちも、突然いろいろな社会の現実を、どうしても見なければいけないことが、多すぎました。
そんな時に、北海道の小さな小さな町の教会に、ペンシルバニアから手紙が届いたのです。
私には、何が書いてあるのか、全くわかりません。なぜなら、ペンシルバニアの私と同じぐらいの年齢のたくさんの子どもたちから手紙が来たのですが、すべて英語でした。
その手紙には、私あてに、「お誕生日おめでとう」と、今自分たちが夢中になってやっているスポーツのことなどが、書かれていました。
以前にアメリカに行った時に、たまたまペンシルバニアの近くまで行き、手紙を書いてくれた人たちは、このあたりに住んでいるのかもしれない・・・と思っていました。
最近になって、どうしても気になって、もし、会いに行くのならば、みなさん年齢も重ねてしまうので、今しかないのでは・・・・・と思いました。
ところが、手紙の住所の教会は、すでに別の教会になっていて、そんなに古い手紙のことを覚えている人なんか、いるわけないよな・・と思い、違う教会であっても、その場所に行ってかえって来ようと思っていました。
手紙のコピー等をニューヨークの姉に渡して、いろいろ調べてもらったのですが、なかなかうまく行かず、もう、あきらめかけたいたところ、奇跡がおこりました♪
これは、絶対奇跡です♪
というわけで、明日仕事に行って、そのまま奇跡に出会いに行ってきま~す♪
母1人、子ども4人で暮らしていましたが、父がいない毎日は、母にとっては、私たちが想像を絶するほど大変だったろうし、私たちも、突然いろいろな社会の現実を、どうしても見なければいけないことが、多すぎました。
そんな時に、北海道の小さな小さな町の教会に、ペンシルバニアから手紙が届いたのです。
私には、何が書いてあるのか、全くわかりません。なぜなら、ペンシルバニアの私と同じぐらいの年齢のたくさんの子どもたちから手紙が来たのですが、すべて英語でした。
その手紙には、私あてに、「お誕生日おめでとう」と、今自分たちが夢中になってやっているスポーツのことなどが、書かれていました。
以前にアメリカに行った時に、たまたまペンシルバニアの近くまで行き、手紙を書いてくれた人たちは、このあたりに住んでいるのかもしれない・・・と思っていました。
最近になって、どうしても気になって、もし、会いに行くのならば、みなさん年齢も重ねてしまうので、今しかないのでは・・・・・と思いました。
ところが、手紙の住所の教会は、すでに別の教会になっていて、そんなに古い手紙のことを覚えている人なんか、いるわけないよな・・と思い、違う教会であっても、その場所に行ってかえって来ようと思っていました。
手紙のコピー等をニューヨークの姉に渡して、いろいろ調べてもらったのですが、なかなかうまく行かず、もう、あきらめかけたいたところ、奇跡がおこりました♪
これは、絶対奇跡です♪
というわけで、明日仕事に行って、そのまま奇跡に出会いに行ってきま~す♪
ろん毛髭さんの10年目の命日 ― 2013年04月24日
10年前の今日、ロン毛髭さんは天国に行ってしまいました。
ワルキューレに乗っていたYさんが、「ロン毛さんは、もめごとは年配者の僕が引き受ける!だから、心配しないで走れ!!と、行ってくれていたんです」とおっしゃっていました。
この言葉を心に刻み、あれから10年たちましたが、私は、まだ走っています♪
ワルキューレの人たちも、まだ走っています♪
仲間たちは、み~~んなまだ走っています♪(だいぶ年の人もいますが)
☆この動画は、W3に乗っていた、ダブサン(ドバ)が作ったものです。これを作った数年後に、彼も天国に行ってしまいました。今ごろダブサン(ドバ)とロン毛さんは、楽しそうに雲の上をツーリングしているに違いないと思っています♪空から、運転下手くそなあたしを守っていてくれ~~~~~~~~~~~☆☆☆
ロン毛髭さんの、お墓参り ― 2013年04月13日
10年前、ちょうど、私がバイクのサイトを立ち上げましたが、私は交通事故で、バイクに乗れなくなり、BIKEのMLなどを作って、ネットで知り合った仲間たちと、BIKEでつながりはじめた頃のことです。
その頃は、バイクに乗る人たちというのは、特別の世界のお方たちで、私にとっては手の届かない遠い存在でした。
そんな中でも、ボチボチバイクのサイトを作り、いろんな人たちが掲示板に何か書いてくれたり、MLで仲間を増やしたり、あの頃は、何もかもがワクワクしていたように思います♪
その中で、一番のあこがれの存在は『GIGA』とうバイクグッツの店を経営するロン毛髭さんでした。
彼の夢は「ツーリング!」
彼の夢は「ミーティング!」
彼の夢は「混浴??」←これはどうかわかりませんが・・・
GIGAのホームページに、混浴掲示板があり、そこで、ロン毛さんとやりとりをしていました。
ロン毛さんが、私に最後のメッセージを書いて、その後、天国に行ってしまい、私はそのことを知らずに、そのコメントに返事を書いてしまったりでした。
そのくらい、あっけなくこの世を去ってしまったのです・・・
その日は、4月24日で、私の誕生日の前日でした。
結局・・・私がロン毛髭さんの最後の恋人?と・・なったようでしたが、私はその頃、事故の後で、まだちゃんと歩けない状態でしたので、お葬式にも参加できずでした。
1年後の追悼ツーリングには、参加しましたが、それから、命日には奥さんに毎年メールをするだけで、お会いすることもなく、お墓参りにも一度も行っていませんでした。
ロン毛さんが亡くなって、ちょうど10年で、何とか、お墓参りに行き、こ~~んなに運転下手くそで、1人が一番大好きで、面倒くさがり屋な私が、女性の仲間とミーティングしたり、ツーリングしたりしながらも、10年間無事ではありませんが、走り続けてきた報告と、これからも、ロン毛さんの走りたかった分まで、自分は走るぞ!!!と決めたことを報告して、なんか心のケジメにしたかったです。
今日しかどうしても都合がつかず、ロン毛さんの親友だったGIGAのTAKAさんに無理言って一緒に行ってもらいました♪
久しぶりにバイクに乗るもので・・・無線機は、どこに行ったかわからないし、あれ!グローブどこだっけ・・・クビにまくものは・・・と・・・やたら準備に時間が、かかり、待ち合わせの場所まで1時間半あれば、行けると思っていたのが、3時間かかり・・・
無理言ってお願いして、1時間30分待たせるって、ひどくないですか???????本当に、あきれて物も言えません!
あたしときたら・・・・・・
おまけに、久しぶりに会ったTAKAさんに、爆弾ハンバーグまで、おごってもらちゃいました♪それが、チーズソースで、めちゃくちゃ美味しくて、これをおごってくれるなら、いつでも行きます!!というぐらい美味しかったです♪
帰りに、走りながら、10年間のいろいろを思い出していたら、ちょっとウルウルしてきて涙が溢れて来てしまい、やばい!まずい!と思っていたら、GIGAのTAKAさんが、バイクを止めて、こっちに来てしまいました。
あわてて涙をふいたのを悔しいことに見つかってしまいました。
あたし「別に、TAKAさんとお別れるから泣いてる訳じゃないからね!ちょっといろいろ思い出して感動しているだけよ!」
ほんと・・・・・・・あたしの口って・・・・・
どうして・・・・・・・次々と・・・・・
こういう、こにくらしいこと・・・・・言っちまうんだろうね!
ひさしぶりにバイクに乗って、楽しかったです♪念願の、ロン毛髭さんの、お墓まいりにも行けてよかったです♪
天国から、あたしがもう転ばないように見守っていてくださいね!
元気な限り、走るので、あたしのこと空から見守っていて、くださいね!
いっぱ~~~~い、思い出作るわよ~~~~~♪
その頃は、バイクに乗る人たちというのは、特別の世界のお方たちで、私にとっては手の届かない遠い存在でした。
そんな中でも、ボチボチバイクのサイトを作り、いろんな人たちが掲示板に何か書いてくれたり、MLで仲間を増やしたり、あの頃は、何もかもがワクワクしていたように思います♪
その中で、一番のあこがれの存在は『GIGA』とうバイクグッツの店を経営するロン毛髭さんでした。
彼の夢は「ツーリング!」
彼の夢は「ミーティング!」
彼の夢は「混浴??」←これはどうかわかりませんが・・・
GIGAのホームページに、混浴掲示板があり、そこで、ロン毛さんとやりとりをしていました。
ロン毛さんが、私に最後のメッセージを書いて、その後、天国に行ってしまい、私はそのことを知らずに、そのコメントに返事を書いてしまったりでした。
そのくらい、あっけなくこの世を去ってしまったのです・・・
その日は、4月24日で、私の誕生日の前日でした。
結局・・・私がロン毛髭さんの最後の恋人?と・・なったようでしたが、私はその頃、事故の後で、まだちゃんと歩けない状態でしたので、お葬式にも参加できずでした。
1年後の追悼ツーリングには、参加しましたが、それから、命日には奥さんに毎年メールをするだけで、お会いすることもなく、お墓参りにも一度も行っていませんでした。
ロン毛さんが亡くなって、ちょうど10年で、何とか、お墓参りに行き、こ~~んなに運転下手くそで、1人が一番大好きで、面倒くさがり屋な私が、女性の仲間とミーティングしたり、ツーリングしたりしながらも、10年間無事ではありませんが、走り続けてきた報告と、これからも、ロン毛さんの走りたかった分まで、自分は走るぞ!!!と決めたことを報告して、なんか心のケジメにしたかったです。
今日しかどうしても都合がつかず、ロン毛さんの親友だったGIGAのTAKAさんに無理言って一緒に行ってもらいました♪
久しぶりにバイクに乗るもので・・・無線機は、どこに行ったかわからないし、あれ!グローブどこだっけ・・・クビにまくものは・・・と・・・やたら準備に時間が、かかり、待ち合わせの場所まで1時間半あれば、行けると思っていたのが、3時間かかり・・・
無理言ってお願いして、1時間30分待たせるって、ひどくないですか???????本当に、あきれて物も言えません!
あたしときたら・・・・・・
おまけに、久しぶりに会ったTAKAさんに、爆弾ハンバーグまで、おごってもらちゃいました♪それが、チーズソースで、めちゃくちゃ美味しくて、これをおごってくれるなら、いつでも行きます!!というぐらい美味しかったです♪
帰りに、走りながら、10年間のいろいろを思い出していたら、ちょっとウルウルしてきて涙が溢れて来てしまい、やばい!まずい!と思っていたら、GIGAのTAKAさんが、バイクを止めて、こっちに来てしまいました。
あわてて涙をふいたのを悔しいことに見つかってしまいました。
あたし「別に、TAKAさんとお別れるから泣いてる訳じゃないからね!ちょっといろいろ思い出して感動しているだけよ!」
ほんと・・・・・・・あたしの口って・・・・・
どうして・・・・・・・次々と・・・・・
こういう、こにくらしいこと・・・・・言っちまうんだろうね!
ひさしぶりにバイクに乗って、楽しかったです♪念願の、ロン毛髭さんの、お墓まいりにも行けてよかったです♪
天国から、あたしがもう転ばないように見守っていてくださいね!
元気な限り、走るので、あたしのこと空から見守っていて、くださいね!
いっぱ~~~~い、思い出作るわよ~~~~~♪
ベリーズに住む日本人 ― 2013年03月22日
悲しい男のなれの果て・・・(この人を見よ!) ― 2013年01月28日
この写真、ちょうど10年前の写真です♪
私がKawasakiのW650のクラブに入って、一番最初に会った人が、この写真の右側の人です♪
この写真は、クラブのミーティングに行き、帰りに仲間たちと別れて、私たち2人は中央道組だったので、途中で牧場に立ち寄りアイスを食べているところです♪
こ~~んな話しはどうでも良いんです!!
なんだかんだと、この人とは一緒に飲んだり、一緒にキャンプしたり、一緒にツーリングしたりしていたのですが、この10年間本当に仲良く友情を続けてきたな~~と思っていました♪
私は10年間同じバイクを乗り続けているのですが、この人は、W650を売ってしまったり、高級自転車を買ったり、オフロードを買ったりして、結局またW650を買って、また一緒に走りだし、ようやく落ち着いたかのように見えました。
ところが、海と空が逆転するぐらいで、めちゃ悲しいできごとがおきたのです・・・!!!
この人は最愛の妻を失ってしまったのです!!!子どももいないので1人ぼっちになってしまいました!!
その後の落ち込みようと言ったら、ひどいもので、全く元気になりそうもない感じでした。喪中は当然バイクにも乗りません。メールで「飲みに行こうよ!」と言っても彼からは「まだ無理・・・」
こ~~んな感じです。それでも、たま~~にメールで時々声をかけてきたつもりでした。
そのうち、ぼちぼち走ったり、キャンプも復活してきて・・・何もかもが昔のように戻ったかのようでした。
ある時、この人と一緒に走っていて、サービスエリアで休もうとすると、知らないバイカーの女性に
女性「あら、いいですね!ご夫婦ですか?」
あたし「こんなやつと夫婦じゃないですよ!」
この人「僕の妻は死にました・・・」
その後、休憩してお茶して帰る予定だったのに・・
この人「ゆめちゃん、悪いけど、僕1人になりたいから帰る・・・」
あたし「あっそ!」
この後姿の暗いこと・・・
もう!もう!どうしょうもない・・・・・・・
こういう時は、そっとしておいてあげるのが一番!
そう思っていました・・・・
それでも・・・時々心配になるとメールをしたりしていたのですが、ここんとこ私も忙しくて少しご無沙汰していました♪
したらさ~~~~~~~~
したらさ~~~~~~~~~~~~~~~
またまた空と海が逆転するぐらい、とんでもないことがおきたのです!!!!!!!!!!!!!
突然この人からメールが来たわけです!!!
この人「夢ちゃん!僕!バイク手放したよ、ごめん!」
あたし「キャンプはどうするのよ!もうしないの???」
この人「キャンプ=バイクだから」
年だし(61歳)、もう無理できないんだな~~と思うと、めちゃくちゃ淋しかったけど、事情も事情だし、もうしょうがないし、引きとめるわけにもいかないし、もう、バイクを手放した後に、何をいっても無駄!!と思って、もう何も言うのやめようと思いました。
10年間の友情も、バイクがないのなら、ここで終了!!だな!!
しょ~~~~~~~がないべさ~~~!!
と思っているやさきに、再びこの人からメールが来ました!
この人「実は若い人と結婚しました。・・バイクはダメ!!!」
あたし「何歳の人!」
この人「30歳年下だから、31歳かな・・」
私がKawasakiのW650のクラブに入って、一番最初に会った人が、この写真の右側の人です♪
この写真は、クラブのミーティングに行き、帰りに仲間たちと別れて、私たち2人は中央道組だったので、途中で牧場に立ち寄りアイスを食べているところです♪
こ~~んな話しはどうでも良いんです!!
なんだかんだと、この人とは一緒に飲んだり、一緒にキャンプしたり、一緒にツーリングしたりしていたのですが、この10年間本当に仲良く友情を続けてきたな~~と思っていました♪
私は10年間同じバイクを乗り続けているのですが、この人は、W650を売ってしまったり、高級自転車を買ったり、オフロードを買ったりして、結局またW650を買って、また一緒に走りだし、ようやく落ち着いたかのように見えました。
ところが、海と空が逆転するぐらいで、めちゃ悲しいできごとがおきたのです・・・!!!
この人は最愛の妻を失ってしまったのです!!!子どももいないので1人ぼっちになってしまいました!!
その後の落ち込みようと言ったら、ひどいもので、全く元気になりそうもない感じでした。喪中は当然バイクにも乗りません。メールで「飲みに行こうよ!」と言っても彼からは「まだ無理・・・」
こ~~んな感じです。それでも、たま~~にメールで時々声をかけてきたつもりでした。
そのうち、ぼちぼち走ったり、キャンプも復活してきて・・・何もかもが昔のように戻ったかのようでした。
ある時、この人と一緒に走っていて、サービスエリアで休もうとすると、知らないバイカーの女性に
女性「あら、いいですね!ご夫婦ですか?」
あたし「こんなやつと夫婦じゃないですよ!」
この人「僕の妻は死にました・・・」
その後、休憩してお茶して帰る予定だったのに・・
この人「ゆめちゃん、悪いけど、僕1人になりたいから帰る・・・」
あたし「あっそ!」
この後姿の暗いこと・・・
もう!もう!どうしょうもない・・・・・・・
こういう時は、そっとしておいてあげるのが一番!
そう思っていました・・・・
それでも・・・時々心配になるとメールをしたりしていたのですが、ここんとこ私も忙しくて少しご無沙汰していました♪
したらさ~~~~~~~~
したらさ~~~~~~~~~~~~~~~
またまた空と海が逆転するぐらい、とんでもないことがおきたのです!!!!!!!!!!!!!
突然この人からメールが来たわけです!!!
この人「夢ちゃん!僕!バイク手放したよ、ごめん!」
あたし「キャンプはどうするのよ!もうしないの???」
この人「キャンプ=バイクだから」
年だし(61歳)、もう無理できないんだな~~と思うと、めちゃくちゃ淋しかったけど、事情も事情だし、もうしょうがないし、引きとめるわけにもいかないし、もう、バイクを手放した後に、何をいっても無駄!!と思って、もう何も言うのやめようと思いました。
10年間の友情も、バイクがないのなら、ここで終了!!だな!!
しょ~~~~~~~がないべさ~~~!!
と思っているやさきに、再びこの人からメールが来ました!
この人「実は若い人と結婚しました。・・バイクはダメ!!!」
あたし「何歳の人!」
この人「30歳年下だから、31歳かな・・」
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