☆10年前の私の命日☆ ― 2013年02月08日
ちょうど10年前の今日、10メート飛びました!!
空を 飛ぶという夢がかなったわけですが、気持ち良くふわっと飛んだ後は、アスファルトの上におっこちてしまいました。
まるで、 堕天使・・・・のようなわけです。
それは、仕事中のことで、子どもたちに絵の指導をしていて、白の絵の具がなくなってしまい、買いに行く途中でした。
原付バイクで文房具屋に行く途中の出来事でした。
その日は、朝からなんだか不気味な1日で、扉のすきまなどが開いているのがとても嫌で、周囲の人に 「なんだか、部屋中に霊がいっぱいいる気がするんだけど・・」
と・・・不気味なのは周囲じゃなくて、自分??? と思うほど、朝から、ザワ~~ッとする1日でした。
職場から原付バイクで5分ぐらいのところに文房具屋やあります。午後、絵の具を買いに行くために毎日通っている道を走っている時に、ふと右手にある団地に行く坂道を見ました。たくさん何かがいる気配がして・・・
「あっ!霊がいっぱいいる???」 そう思った瞬間・・・思いっきり空を飛んでしまったわけです。
なんと・・・路上駐車の車に、思いっきりつっこんでのことでした。
その後、全く動くこともできず、左手だけは動いたので ポケットの携帯電話から職場に電話をしました。「事故にあってしまったので、戻れないかも・・・」
私は、白線の上に、ボトリと落ちた瞬間・・・ 「私・・・何かと入れ替わった?」と思いました。
救急車が来て、私を救急車に乗せました。
左足の感覚が全くないので、足を見ようとしたら救急隊の人が「見ない方がいい!!」って言いました。
足・・・・・もしかして・・・なくなった????
その日は木曜日で、土曜日から大型免許を取りに行く予定です♪
こんなことしている場合じゃないんですよ!!!
救急車で病院に運ばれて、病院で、おそるおそる自分の足を見ると・・・
あっ!!足あるじゃ~~~~~ん♪
ホッとはしましたが、本当に酷い傷でした。
左足膝上裂傷!右足首骨折!全身打撲!記憶錯乱?
処置をしている間、先生が「しゃべりすぎてうるさい!!」と、私を眠らせてしまいました。
意識が戻ってきたけれど、体は全然動きません。
家族や親せきや知り合いたちが私のベッドをかこんで
「まったくバカで!」
「本当にバカで!」
「ど~~しょうもないバカですよ!!!」
と・・・・・・
あたしのことをだ~~れも心配していなくて、みんなで、あきれかえっていました。
何が起こったのかよくわからなくなっていましたが、
よくよく考えてみると・・・
あ・・・・・あたしったら 止まっている車に激突したんだ!!!
(この日以来、意識がなくて眠っている人の前でも絶対その人は聞こえていると信じています)
私のことを「バカだ!バカだ!」という人たちがいなくなった後、白い壁の病室と自分だけが、意味もなく病室に取り残されていました。
トイレに行きたくても動けない
何をするにも動けない
全くもって不自由な自分がそこにいました。
何とか仕事に行かなくちゃ!!
実は、私は保育園の年長組の担任でした。それも、補助の人はなく、1人担任だったのです。
自分がいかないと子どもたちが悲しむ・・・何としても、這ってってでも仕事に行かなくては・・・と思いました。
ところが・・・
次の日には
「代わりの人を入れたので、仕事に来なくて大丈夫!」
そいう言われた時には
「・・・あたしって、そんなに必要な人材ではなかったわけだ・・・」
わかりやすく言えば
母親のかわりなんか、そんなに誰でもできるわけじゃないけど
保育士のかわりなんか、誰でもできるわけで、私なんかいなくても
大丈夫なわけです。
自分が貴重だなんて思っているのは、家族でも親戚でもなく
自分だけなわけです。
あのまま私がいなくなったって 誰も淋しくもないし
形上、私の人生の、おしまいの会とかあったにしても
過ぎてしまえば
みんな私のことなんか忘れてしまうわけです。
そう思った時・・・
自分はただのスクラップになってしまったことを感じました。
いらなくなった乗れない車が山のようにつまれた、あの車たちの一部分になった気がしました。
お医者には、もう二度と前のようには歩けないし、足を引きずるだろうといわれました。最低でも、1か月は入院!
一夜過ぎると麻酔が切れて、めちゃくちゃ左足の傷口は痛いし、全身アザだらけだし、右足を骨折しているので、トイレに行くのは大変でした。点滴やら、足にクダがつながっていたりで、それを全部持って車いすに乗って行くのですが、何しろ少し動くだけで、激痛でした。
昨日まで、確かにあたりまえにしていたこと!
朝起きること
花園の花に水をあげること
トイレに行くこと
食事の支度をすること
朝ごはんを食べて仕事に行くこと
かわいい子どもたちの中で仕事をしていること
歩くこと
買い物に行くこと
そういうあたりまえのことがすべて自分からなくなってしまいました。
1日中動けない、ここからも出られない、ここはまるで牢屋の中のようです。
それも、1か月も、こんなところにいなくてはならないなんで・・・
生きる気力を失っているところに
子どもたちや親たちが、次々とお見舞いに来てくれました。
そして、次々に
「ばかだね!!!ほんとに~~!」と・・・言われ続けました。
「だいたいさ~~止まっている車に激突するなんて、いい男でも見てたんでしょ~~~」
↑お見舞いに来た人、全員これを言っていました♪
実は・・・家族に、例のことを(霊のことですが・・・)うちあけました。
家族「なんで止まっている車にぶつかったのよ!!」
わたし「坂道に霊がいて、あっ!いっぱいいる!!って思った瞬間に飛んでいたの」
家族「そのことは、医者にも絶対言わないように!警察にも絶対言わないように!二度と口にしないように!そうしないと、ここじゃなくて、違う病院に連れていかれちゃうよ!!」
その話は、二度としてはいけないことになりました。
お見舞いに来た人たちには「だから・・・霊がいっぱい!!の話は、誰にも秘密なんです!」と、全員にペラペラとしゃべっていました。
お見舞いに来た子どもたちの顔を見ていると、やっぱり、こんなことはしれいられない!!と思い、早く退院できるようにがんばろう!と思うのですが、夜になると、眠れなくて、気持ちが落ち込みました。
いっそのこと、あの時消えてしまった方が、めんどうじゃなくて、楽だったかも・・・・・・・
だんだん冷静になってくると、なんだか、めちゃくちゃタバコが吸いたくなりました。
看護婦さんに
あたし「すみません・・・タバコ吸いたいんですけど・・」
看護婦さん「吸えるものなら、吸ってごらんなさい・・・」
あ・・・・・動けないんだっけ・・・・・・
あたし、も~~タバコすら自由に吸えないんじゃん!!
生きている意味ある????
病院に図書館があって、図書館司書の方が病室に来ました。
読みたい本があったら、もってきてくれるというのです。
私は「文学のCDありますか?」と、聞いてみると、日本文学と世界文学のCDがあるというのです。私はそれを全部借りることにしました。
日本文学20巻
世界文学20巻
こうなったら、1か月で全部聞くぞ!!
それからというもの、暇さえあれば、CDで、文学の朗読を聞いていました。小さなパソコンを持っていたので、CDを聞きながら、忘れたくないセリフや、内容などを全部メモしながら聞いていました。
1日も早く退院したいので、医者に禁止されている階段の上り下りも松葉杖で練習して、車椅子の運転は、暴走できるぐらい上達しました♪
毎日病院を脱走して、公園に遊びに行き
猫にエサをあげているおじさんと友達になり
川辺に住んでいる、浮浪者の彼女なんだ~と言っている女性と友達になったり
当たり前の生活はすべて失っているのですが
その代わりに、なんとも不思議な世界が私の中に入って来ました♪
ここの病院には、1階に、素敵な喫煙所もあり、1日数回、遊びに来ていました♪
朝ごはんは出てくるし
昼ごはんは出てくるし
夜ごはんは出てくるし
仕事はしなくていいし
友達は毎日来てくれて、お茶とかもできるし・・・
文学は聞きたい放題。
病室の人たちとも仲良しになって、いっつも笑って話をしていました。
『住めば都』って、このことですね!
今でも思い出したくないことですが、私がぶつかった車!それはどうなったかというと
家族から「ぶつかった車の修理代は30万円で、それは私が払わなくてはならない」と言われまいした。
新しいバイク(家族からの誕生日プレゼント)は壊れ
30万円か・・・・
よし!!1か月入院しよ!!したら、保険が1日1万円おりるから余計な出費もなくなる!!
ところが入院生活は、そうは甘くなく、入院すればするほど、傷口がひどくなって行きました。
医者からは、お風呂で、ゴシゴシ医者からもらった清潔な水で洗うようにと言われたのですが、それはそれは地獄のおしおきみたいに痛いのです。
おまけに、傷がどんどん広がって行ってしまうので、医者が麻酔なしで表面をハサミで切るので、それもめちゃくちゃに痛いのです。
どんどんケロイドになって傷が広がりひどくなる自分の足の傷を見ていて
私の足・・・びょっとして、腐ってきてる???と思うほどでした。
おまけに、入院すればするほど、どんどん歩くのが大変になってきてしまいました。
結局、ほとんど傷は良くならず、入院1か月後に退院となりました。
ベッドが足りなくて、追い出された訳ですが、傷はヒザの上全体にケロイドのように広がってしまうほどになっていました。
退院して、すぐに、いつもお世話になっている整形外科に行きました。
先生は「こりゃひどい!!感染症をおこしているよ!これ以上ひどくなったら足切断だよ!退院しなかったら、大変だったね!」とおっしゃっていました。
そこの病院に毎日通院して、抗生物質を飲みはじめると、傷は、みるみる良くなってきましたが、痛みはとれません。
何とか卒園式だけは、杖なしで歩くこともでき、卒園遠足は、車いすで行くことができました。
足の傷は良くなってきても、痛みが続き、夜も眠れないほどで、紹介状を書いていただき、日本女子医大の整形外科に行きました。
そして、見ていただいくと
神経が痛みを記憶していて、いつまでたっても事故の時の痛みが続いているため。もう治らないと言われました。ただし、痛みというのは、時間がたつと慣れます!と・・・言われましたが・・・
足の痛みで、歩けなくなることも多く、保育士の仕事は、その年度で断念しました。
コツコツという靴音を出して歩ける人たちがうらやましく
走っている人を見ていると涙が出ました。
退院した後には、思いもよらない現実が待っていました。
病院にいる時には、不自由さを感じませんでしたが、スーパーで買い物をしてしまったら、松葉杖を持っていたら買い物のカゴも荷物を持てません。
下に物が落ちた時も大変で、拾うのにひと苦労でした。
ヒザをつけないので、床拭きはできません。退院したとたんに、不自由だらけに驚きました。
なんとか仕事をはじめたのですが、少しでも重たいものを持つと、足が痛くて歩けなくなり、膝になにか少しでも触れると激痛になってしまいます。そのため、全く楽しい気持ちにはなれなくなっていました。
あたし・・・本当にもうダメかも・・・・
困難な状況になると、それでも何とか生きようとするわけで・・・
足の傷は、触れると痛いので、サポーターをつけてみると、膝がズボンやスカートで擦れなくなり、なんとか歩けていて、途中で歩けなることがなくなって来ました。
重たいものさえ持たなければ、なんとかゆっくり歩けるようになりました。
傷口はまだ、ふさがっていません・・・・
おまけに、バイクに乗るのは世界中が反対!!!
しかし・・・私としては、歩くより、バイクの方がずっと楽なのです。
いわば、車いすにエンジンがついたのと思えばいいわけです。
みんなは「普通怖くて乗れないよね!」と言うのですが、私は、どうしてもバイクに乗りたいです。でも、事故以来、バイクの音を聞くだけで緊張してしまうほど、怖いのも事実です。この恐怖感や緊張感をなくすには、それを克服する以外に方法はないのです。
思い切ってエンジンをかけました。体中が、恐怖感を思い出してコチコチに緊張しました。
少し走ってみると、思ったよりぜんぜん平気!
やっぱ歩くより楽だわ!!
・・・・というわけで、まだ傷も治っていないのに、自動車教習所に、大型免許を取りに行き始めてしまいました♪
膝に傷があるので、ニーグリップができず、クランクには苦労しましたが。何日か通って、無事大型免許をゲットしました!!
ただし・・・世間の目の冷たいこと!冷たいこと!
冷たいこと!!!!
「よく、バイクになんか乗りますね!!」
とか、何百回言われたかわかりません。
もしかしたら、何千回だったかもしれません・・・。
大型バイクはお金がなくて買えませんが、足が不自由になってからというもの、バイクに乗るのが楽しくてたまらなくなってしまいました♪
その年のクリスマスイブに、友達とツーリングでイルミネーションを見た後、友達に「あたしさ~~ちょっと抜けてるけどさ~~それなりに一生懸命生きてきたのよ・・・だけどさ~~小さい時から、私のところには、一度もサンタクロースが来てくれたことないのよ!今年サンタさん、大型バイク持ってきてくれないかな~~~」
星もきらめくクリスマスイブ・・・
はたして、サンタさんは、来てくれるでしょうか・・・・・
次の日の朝は、全く何も、何もおこりませんでした。
あたりまえのことです。
夕方、仕事が終わり銀行に行きました。
銀行に行き、お金をおろし、残金を見ると・・・
うそ!!なに!!この残金!!!!!!
誰も信じないかもしれないけど
本当にサンタさんが、バイクをプレゼントしてくれました。絶対サンタさんからのプレゼントです!
がんばっていれば、こういう軌跡みたいなことが、ぜったい起こるのです!!
事故の後遺症のお金がよりによって、12月24日にふりこまれていただけのことなのですが、これはサンタさんが、「これで絶対にバイクを買いなさい!!」というメッセージに間違いないと思いました。
私には、こだわりがあって、バイクはワインレッドじゃないと、嫌なのです!
私はKawasaki の W650が良いのですが、色は赤しかありません。
どうしよう・・・と思っているうちに、ちょうど2004年発売のW650が、ワインレッドだったのです!!
嬉しくて、嬉しくて、大和のマフラーも買ってしまいました。
この日から、私とW650の旅が始まったわけです。
あれから10年。
足の痛みには、すっかり慣れて、今も痛いはずなのですが、何も気にならず、普通に歩いて生活しています。
W650で、日本全国すべて走りました。そこで出会った人たち、日本の美しい自然!旅をしながら、かけがえのない経験を沢山することができました。
本日、忘れもしない、2月6日の私の命日・・・!
10年前のこの日、堕天使みたいに空からおっこちた瞬間に「いれかわった?」って思ったのは
あの瞬間、一回死んで、次の瞬間に、新しい命がふきかえしたような気がします。
あの日、あの時から不自由な時間を過ごしたことで、生きているって、奇跡だと思えています。
これから先もずっと、新しい命をもらった日のことを思い出しながら、素敵に人生を生きていけたらいいのにな・・・・・☆完☆
コメント
_ ニンジャ乗り ― 2013年02月08日 23:13:29
_ yume ― 2013年02月09日 05:44:10
元気なうちに、やりたいこと全部やって、
元気なうちに、行きたいところに全部行く予定ですよ~~♪
_ ニンジャ乗り ― 2013年02月09日 18:51:35
夢女さん、男前っ!!
まさか…入れ代わったのは
_ yume ― 2013年02月10日 07:55:50
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