母の日 ― 2013年05月13日

私の母は、とても厳しい人で
私は母に甘えたいなんて
怖くて一度も思ったことがありません
その怖い母は
朝5時に起きて聖書を読みます
6時30分には、ラジオ体操をします
掃除をして選択をして
NHKの朝の番組を見たら仕事に行きます
その後は、ずっと帰ってきません
帰って来ると鬼になります
部屋に逃げ込むと天国の父に向かって
大声で泣き始めます
お父ちゃんは私だけにこんなに苦労させて・・・
両親のいない私たち兄弟は、自由でのびのび
ほっとかれて育ちましたが
親の理想とはぜんぜん別の方向に向かっていました
兄も、姉も、妹もアメリカへ逃げ
私だけが日本に残ってしまい
母親に怒られ続けていました・・・・・・
本当に厳しい母親で
私は何度家出をしたことか・・・・・・・
何しろ母親が嫌いで嫌いでたまらず
顔を見るのも嫌だったのですが
母の日に贈り物をしないと
泣き叫ぶので
絶対忘れないでプレゼントをすることにしていました
そんな厳しかった母も年を重ね
今は介護つきの素敵な場所で
静かに過ごしています
今年は母の日に釣りに行ってしまい
夕方までに帰ってくる予定だったのが
釣りにやたら夢中になってしまい
帰ってくるのが遅くなってしまいました
母のところに行かなくては
母のところに行かなくてはと・・
おびえるようにつぶやいていました
次の日仕事を終えると一目散で
母のところに行きました
部屋に入るなり
あたし「あらっ!!お花は?」
母「そんなもんないよ」
あたし「ちゃんとプレゼントしたのに!!」
介護の人に尋ねると
水をこぼしてしまうのでと部屋に花は入れてもらえなかったようです
私が花を中に入れてあげ
兄弟の名前を全部書き入れて
母と一緒に写真を撮ってあげました。
その日は、めずらしく母は自分がどんなにダメな人間か
どんなにここで、冷たくされているかを私に訴えました
(そんなことは、絶対ないのですが・・・)
私は小さい町で、牧師さんの妻をやっていて、その牧師さんが天国に行ってしまい、4人の子どもを育てて、そこにいろいろな方たちが来たことなど、自分が覚えていることを全部母に話すと、母は、そうだったわね!そうだったわね!と、時々涙を流していました。
父が亡くなった時に日本中から、外国からもたくさんの奨学金が送られてきたことなども伝え、それが母の次の仕事のために役立ったことや、その時に来た、アメリカのペンシルバニアから来た手紙の教会に今度行ってみることを伝えると「手紙を書いてくれた、誰かひとりにでも会えるといいわね~~」と言ってくれました。
夏!本当に行きます!!!
その後、東京に出てきてからの、母の仕事のことや、いろいろな人が感謝していることを伝えると、何度も「そんなことがあったわね」と、涙をためたり笑ったりしていました。
あっという間に2時間が過ぎてしまい、帰ろうとすると、母が
「あなたは、本当に良い時に生まれてくれたわね」と言っていました。なんだか、思わず、母に抱きついてしまい、また来るからね!と約束して帰ってきました。
86歳で、厳しい母が、どこかに消えてしまい、本当に物足りないのですが、優しさとピュアな心だけが残されて平和に母が元気に生きていてくれて、本当にうれしいです!
・・・・しかし、この後、ニューヨークから姉は1時間も電話したらしい
ほんと・・・・すごい!!(←あまり意味ないです)
よし!!!!
母が元気なうちに、やりたいことを全部やろう!!!
やりたいことやるのは、今しかない!!笑
私は母に甘えたいなんて
怖くて一度も思ったことがありません
その怖い母は
朝5時に起きて聖書を読みます
6時30分には、ラジオ体操をします
掃除をして選択をして
NHKの朝の番組を見たら仕事に行きます
その後は、ずっと帰ってきません
帰って来ると鬼になります
部屋に逃げ込むと天国の父に向かって
大声で泣き始めます
お父ちゃんは私だけにこんなに苦労させて・・・
両親のいない私たち兄弟は、自由でのびのび
ほっとかれて育ちましたが
親の理想とはぜんぜん別の方向に向かっていました
兄も、姉も、妹もアメリカへ逃げ
私だけが日本に残ってしまい
母親に怒られ続けていました・・・・・・
本当に厳しい母親で
私は何度家出をしたことか・・・・・・・
何しろ母親が嫌いで嫌いでたまらず
顔を見るのも嫌だったのですが
母の日に贈り物をしないと
泣き叫ぶので
絶対忘れないでプレゼントをすることにしていました
そんな厳しかった母も年を重ね
今は介護つきの素敵な場所で
静かに過ごしています
今年は母の日に釣りに行ってしまい
夕方までに帰ってくる予定だったのが
釣りにやたら夢中になってしまい
帰ってくるのが遅くなってしまいました
母のところに行かなくては
母のところに行かなくてはと・・
おびえるようにつぶやいていました
次の日仕事を終えると一目散で
母のところに行きました
部屋に入るなり
あたし「あらっ!!お花は?」
母「そんなもんないよ」
あたし「ちゃんとプレゼントしたのに!!」
介護の人に尋ねると
水をこぼしてしまうのでと部屋に花は入れてもらえなかったようです
私が花を中に入れてあげ
兄弟の名前を全部書き入れて
母と一緒に写真を撮ってあげました。
その日は、めずらしく母は自分がどんなにダメな人間か
どんなにここで、冷たくされているかを私に訴えました
(そんなことは、絶対ないのですが・・・)
私は小さい町で、牧師さんの妻をやっていて、その牧師さんが天国に行ってしまい、4人の子どもを育てて、そこにいろいろな方たちが来たことなど、自分が覚えていることを全部母に話すと、母は、そうだったわね!そうだったわね!と、時々涙を流していました。
父が亡くなった時に日本中から、外国からもたくさんの奨学金が送られてきたことなども伝え、それが母の次の仕事のために役立ったことや、その時に来た、アメリカのペンシルバニアから来た手紙の教会に今度行ってみることを伝えると「手紙を書いてくれた、誰かひとりにでも会えるといいわね~~」と言ってくれました。
夏!本当に行きます!!!
その後、東京に出てきてからの、母の仕事のことや、いろいろな人が感謝していることを伝えると、何度も「そんなことがあったわね」と、涙をためたり笑ったりしていました。
あっという間に2時間が過ぎてしまい、帰ろうとすると、母が
「あなたは、本当に良い時に生まれてくれたわね」と言っていました。なんだか、思わず、母に抱きついてしまい、また来るからね!と約束して帰ってきました。
86歳で、厳しい母が、どこかに消えてしまい、本当に物足りないのですが、優しさとピュアな心だけが残されて平和に母が元気に生きていてくれて、本当にうれしいです!
・・・・しかし、この後、ニューヨークから姉は1時間も電話したらしい
ほんと・・・・すごい!!(←あまり意味ないです)
よし!!!!
母が元気なうちに、やりたいことを全部やろう!!!
やりたいことやるのは、今しかない!!笑
コメント
_ ニンジャ乗り ― 2013年05月18日 22:23:00
_ ニンジャ乗り ― 2013年05月21日 00:21:24
お袋さんはそんなに怖かったんですか?
お兄さん、お姉ちゃん、妹さんは逃げたの?
夢女さんと、1番上のお兄さんとはいくつ離れてるんですか?
でもお袋さんに、優しくしてあげて下さいね~
オレはお袋いないので…
お兄さん、お姉ちゃん、妹さんは逃げたの?
夢女さんと、1番上のお兄さんとはいくつ離れてるんですか?
でもお袋さんに、優しくしてあげて下さいね~
オレはお袋いないので…
_ yume ― 2013年05月21日 01:10:48
お兄ちゃんは留学!妹は仕学♪姉ちゃんは夢学♪
逃げたわけではなく、旅だったのです♪
兄は6歳上かな・・・・
お袋さん大事にします。仕事している時には、喧嘩してクソババーとか言ってしまったりしましたが、今は母が大好きですよ~~♪
逃げたわけではなく、旅だったのです♪
兄は6歳上かな・・・・
お袋さん大事にします。仕事している時には、喧嘩してクソババーとか言ってしまったりしましたが、今は母が大好きですよ~~♪
_ ニンジャ乗り ― 2013年05月21日 19:49:54
なら良かった♪
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お袋さんが居るからいいかな…