ベリーズに住む日本人 ― 2013年03月22日
高尾山で出会った素敵な言葉 ― 2013年02月24日
☆10年前の私の命日☆ ― 2013年02月08日
ちょうど10年前の今日、10メート飛びました!!
空を 飛ぶという夢がかなったわけですが、気持ち良くふわっと飛んだ後は、アスファルトの上におっこちてしまいました。
まるで、 堕天使・・・・のようなわけです。
それは、仕事中のことで、子どもたちに絵の指導をしていて、白の絵の具がなくなってしまい、買いに行く途中でした。
原付バイクで文房具屋に行く途中の出来事でした。
その日は、朝からなんだか不気味な1日で、扉のすきまなどが開いているのがとても嫌で、周囲の人に 「なんだか、部屋中に霊がいっぱいいる気がするんだけど・・」
と・・・不気味なのは周囲じゃなくて、自分??? と思うほど、朝から、ザワ~~ッとする1日でした。
職場から原付バイクで5分ぐらいのところに文房具屋やあります。午後、絵の具を買いに行くために毎日通っている道を走っている時に、ふと右手にある団地に行く坂道を見ました。たくさん何かがいる気配がして・・・
「あっ!霊がいっぱいいる???」 そう思った瞬間・・・思いっきり空を飛んでしまったわけです。
なんと・・・路上駐車の車に、思いっきりつっこんでのことでした。
その後、全く動くこともできず、左手だけは動いたので ポケットの携帯電話から職場に電話をしました。「事故にあってしまったので、戻れないかも・・・」
私は、白線の上に、ボトリと落ちた瞬間・・・ 「私・・・何かと入れ替わった?」と思いました。
救急車が来て、私を救急車に乗せました。
左足の感覚が全くないので、足を見ようとしたら救急隊の人が「見ない方がいい!!」って言いました。
足・・・・・もしかして・・・なくなった????
その日は木曜日で、土曜日から大型免許を取りに行く予定です♪
こんなことしている場合じゃないんですよ!!!
救急車で病院に運ばれて、病院で、おそるおそる自分の足を見ると・・・
あっ!!足あるじゃ~~~~~ん♪
ホッとはしましたが、本当に酷い傷でした。
左足膝上裂傷!右足首骨折!全身打撲!記憶錯乱?
処置をしている間、先生が「しゃべりすぎてうるさい!!」と、私を眠らせてしまいました。
意識が戻ってきたけれど、体は全然動きません。
家族や親せきや知り合いたちが私のベッドをかこんで
「まったくバカで!」
「本当にバカで!」
「ど~~しょうもないバカですよ!!!」
と・・・・・・
あたしのことをだ~~れも心配していなくて、みんなで、あきれかえっていました。
何が起こったのかよくわからなくなっていましたが、
よくよく考えてみると・・・
あ・・・・・あたしったら 止まっている車に激突したんだ!!!
(この日以来、意識がなくて眠っている人の前でも絶対その人は聞こえていると信じています)
私のことを「バカだ!バカだ!」という人たちがいなくなった後、白い壁の病室と自分だけが、意味もなく病室に取り残されていました。
トイレに行きたくても動けない
何をするにも動けない
全くもって不自由な自分がそこにいました。
何とか仕事に行かなくちゃ!!
実は、私は保育園の年長組の担任でした。それも、補助の人はなく、1人担任だったのです。
自分がいかないと子どもたちが悲しむ・・・何としても、這ってってでも仕事に行かなくては・・・と思いました。
ところが・・・
次の日には
「代わりの人を入れたので、仕事に来なくて大丈夫!」
そいう言われた時には
「・・・あたしって、そんなに必要な人材ではなかったわけだ・・・」
わかりやすく言えば
母親のかわりなんか、そんなに誰でもできるわけじゃないけど
保育士のかわりなんか、誰でもできるわけで、私なんかいなくても
大丈夫なわけです。
自分が貴重だなんて思っているのは、家族でも親戚でもなく
自分だけなわけです。
あのまま私がいなくなったって 誰も淋しくもないし
形上、私の人生の、おしまいの会とかあったにしても
過ぎてしまえば
みんな私のことなんか忘れてしまうわけです。
そう思った時・・・
自分はただのスクラップになってしまったことを感じました。
いらなくなった乗れない車が山のようにつまれた、あの車たちの一部分になった気がしました。
お医者には、もう二度と前のようには歩けないし、足を引きずるだろうといわれました。最低でも、1か月は入院!
一夜過ぎると麻酔が切れて、めちゃくちゃ左足の傷口は痛いし、全身アザだらけだし、右足を骨折しているので、トイレに行くのは大変でした。点滴やら、足にクダがつながっていたりで、それを全部持って車いすに乗って行くのですが、何しろ少し動くだけで、激痛でした。
昨日まで、確かにあたりまえにしていたこと!
朝起きること
花園の花に水をあげること
トイレに行くこと
食事の支度をすること
朝ごはんを食べて仕事に行くこと
かわいい子どもたちの中で仕事をしていること
歩くこと
買い物に行くこと
そういうあたりまえのことがすべて自分からなくなってしまいました。
1日中動けない、ここからも出られない、ここはまるで牢屋の中のようです。
それも、1か月も、こんなところにいなくてはならないなんで・・・
生きる気力を失っているところに
子どもたちや親たちが、次々とお見舞いに来てくれました。
そして、次々に
「ばかだね!!!ほんとに~~!」と・・・言われ続けました。
「だいたいさ~~止まっている車に激突するなんて、いい男でも見てたんでしょ~~~」
↑お見舞いに来た人、全員これを言っていました♪
実は・・・家族に、例のことを(霊のことですが・・・)うちあけました。
家族「なんで止まっている車にぶつかったのよ!!」
わたし「坂道に霊がいて、あっ!いっぱいいる!!って思った瞬間に飛んでいたの」
家族「そのことは、医者にも絶対言わないように!警察にも絶対言わないように!二度と口にしないように!そうしないと、ここじゃなくて、違う病院に連れていかれちゃうよ!!」
その話は、二度としてはいけないことになりました。
お見舞いに来た人たちには「だから・・・霊がいっぱい!!の話は、誰にも秘密なんです!」と、全員にペラペラとしゃべっていました。
お見舞いに来た子どもたちの顔を見ていると、やっぱり、こんなことはしれいられない!!と思い、早く退院できるようにがんばろう!と思うのですが、夜になると、眠れなくて、気持ちが落ち込みました。
いっそのこと、あの時消えてしまった方が、めんどうじゃなくて、楽だったかも・・・・・・・
だんだん冷静になってくると、なんだか、めちゃくちゃタバコが吸いたくなりました。
看護婦さんに
あたし「すみません・・・タバコ吸いたいんですけど・・」
看護婦さん「吸えるものなら、吸ってごらんなさい・・・」
あ・・・・・動けないんだっけ・・・・・・
あたし、も~~タバコすら自由に吸えないんじゃん!!
生きている意味ある????
病院に図書館があって、図書館司書の方が病室に来ました。
読みたい本があったら、もってきてくれるというのです。
私は「文学のCDありますか?」と、聞いてみると、日本文学と世界文学のCDがあるというのです。私はそれを全部借りることにしました。
日本文学20巻
世界文学20巻
こうなったら、1か月で全部聞くぞ!!
それからというもの、暇さえあれば、CDで、文学の朗読を聞いていました。小さなパソコンを持っていたので、CDを聞きながら、忘れたくないセリフや、内容などを全部メモしながら聞いていました。
1日も早く退院したいので、医者に禁止されている階段の上り下りも松葉杖で練習して、車椅子の運転は、暴走できるぐらい上達しました♪
毎日病院を脱走して、公園に遊びに行き
猫にエサをあげているおじさんと友達になり
川辺に住んでいる、浮浪者の彼女なんだ~と言っている女性と友達になったり
当たり前の生活はすべて失っているのですが
その代わりに、なんとも不思議な世界が私の中に入って来ました♪
ここの病院には、1階に、素敵な喫煙所もあり、1日数回、遊びに来ていました♪
朝ごはんは出てくるし
昼ごはんは出てくるし
夜ごはんは出てくるし
仕事はしなくていいし
友達は毎日来てくれて、お茶とかもできるし・・・
文学は聞きたい放題。
病室の人たちとも仲良しになって、いっつも笑って話をしていました。
『住めば都』って、このことですね!
今でも思い出したくないことですが、私がぶつかった車!それはどうなったかというと
家族から「ぶつかった車の修理代は30万円で、それは私が払わなくてはならない」と言われまいした。
新しいバイク(家族からの誕生日プレゼント)は壊れ
30万円か・・・・
よし!!1か月入院しよ!!したら、保険が1日1万円おりるから余計な出費もなくなる!!
ところが入院生活は、そうは甘くなく、入院すればするほど、傷口がひどくなって行きました。
医者からは、お風呂で、ゴシゴシ医者からもらった清潔な水で洗うようにと言われたのですが、それはそれは地獄のおしおきみたいに痛いのです。
おまけに、傷がどんどん広がって行ってしまうので、医者が麻酔なしで表面をハサミで切るので、それもめちゃくちゃに痛いのです。
どんどんケロイドになって傷が広がりひどくなる自分の足の傷を見ていて
私の足・・・びょっとして、腐ってきてる???と思うほどでした。
おまけに、入院すればするほど、どんどん歩くのが大変になってきてしまいました。
結局、ほとんど傷は良くならず、入院1か月後に退院となりました。
ベッドが足りなくて、追い出された訳ですが、傷はヒザの上全体にケロイドのように広がってしまうほどになっていました。
退院して、すぐに、いつもお世話になっている整形外科に行きました。
先生は「こりゃひどい!!感染症をおこしているよ!これ以上ひどくなったら足切断だよ!退院しなかったら、大変だったね!」とおっしゃっていました。
そこの病院に毎日通院して、抗生物質を飲みはじめると、傷は、みるみる良くなってきましたが、痛みはとれません。
何とか卒園式だけは、杖なしで歩くこともでき、卒園遠足は、車いすで行くことができました。
足の傷は良くなってきても、痛みが続き、夜も眠れないほどで、紹介状を書いていただき、日本女子医大の整形外科に行きました。
そして、見ていただいくと
神経が痛みを記憶していて、いつまでたっても事故の時の痛みが続いているため。もう治らないと言われました。ただし、痛みというのは、時間がたつと慣れます!と・・・言われましたが・・・
足の痛みで、歩けなくなることも多く、保育士の仕事は、その年度で断念しました。
コツコツという靴音を出して歩ける人たちがうらやましく
走っている人を見ていると涙が出ました。
退院した後には、思いもよらない現実が待っていました。
病院にいる時には、不自由さを感じませんでしたが、スーパーで買い物をしてしまったら、松葉杖を持っていたら買い物のカゴも荷物を持てません。
下に物が落ちた時も大変で、拾うのにひと苦労でした。
ヒザをつけないので、床拭きはできません。退院したとたんに、不自由だらけに驚きました。
なんとか仕事をはじめたのですが、少しでも重たいものを持つと、足が痛くて歩けなくなり、膝になにか少しでも触れると激痛になってしまいます。そのため、全く楽しい気持ちにはなれなくなっていました。
あたし・・・本当にもうダメかも・・・・
困難な状況になると、それでも何とか生きようとするわけで・・・
足の傷は、触れると痛いので、サポーターをつけてみると、膝がズボンやスカートで擦れなくなり、なんとか歩けていて、途中で歩けなることがなくなって来ました。
重たいものさえ持たなければ、なんとかゆっくり歩けるようになりました。
傷口はまだ、ふさがっていません・・・・
おまけに、バイクに乗るのは世界中が反対!!!
しかし・・・私としては、歩くより、バイクの方がずっと楽なのです。
いわば、車いすにエンジンがついたのと思えばいいわけです。
みんなは「普通怖くて乗れないよね!」と言うのですが、私は、どうしてもバイクに乗りたいです。でも、事故以来、バイクの音を聞くだけで緊張してしまうほど、怖いのも事実です。この恐怖感や緊張感をなくすには、それを克服する以外に方法はないのです。
思い切ってエンジンをかけました。体中が、恐怖感を思い出してコチコチに緊張しました。
少し走ってみると、思ったよりぜんぜん平気!
やっぱ歩くより楽だわ!!
・・・・というわけで、まだ傷も治っていないのに、自動車教習所に、大型免許を取りに行き始めてしまいました♪
膝に傷があるので、ニーグリップができず、クランクには苦労しましたが。何日か通って、無事大型免許をゲットしました!!
ただし・・・世間の目の冷たいこと!冷たいこと!
冷たいこと!!!!
「よく、バイクになんか乗りますね!!」
とか、何百回言われたかわかりません。
もしかしたら、何千回だったかもしれません・・・。
大型バイクはお金がなくて買えませんが、足が不自由になってからというもの、バイクに乗るのが楽しくてたまらなくなってしまいました♪
その年のクリスマスイブに、友達とツーリングでイルミネーションを見た後、友達に「あたしさ~~ちょっと抜けてるけどさ~~それなりに一生懸命生きてきたのよ・・・だけどさ~~小さい時から、私のところには、一度もサンタクロースが来てくれたことないのよ!今年サンタさん、大型バイク持ってきてくれないかな~~~」
星もきらめくクリスマスイブ・・・
はたして、サンタさんは、来てくれるでしょうか・・・・・
次の日の朝は、全く何も、何もおこりませんでした。
あたりまえのことです。
夕方、仕事が終わり銀行に行きました。
銀行に行き、お金をおろし、残金を見ると・・・
うそ!!なに!!この残金!!!!!!
誰も信じないかもしれないけど
本当にサンタさんが、バイクをプレゼントしてくれました。絶対サンタさんからのプレゼントです!
がんばっていれば、こういう軌跡みたいなことが、ぜったい起こるのです!!
事故の後遺症のお金がよりによって、12月24日にふりこまれていただけのことなのですが、これはサンタさんが、「これで絶対にバイクを買いなさい!!」というメッセージに間違いないと思いました。
私には、こだわりがあって、バイクはワインレッドじゃないと、嫌なのです!
私はKawasaki の W650が良いのですが、色は赤しかありません。
どうしよう・・・と思っているうちに、ちょうど2004年発売のW650が、ワインレッドだったのです!!
嬉しくて、嬉しくて、大和のマフラーも買ってしまいました。
この日から、私とW650の旅が始まったわけです。
あれから10年。
足の痛みには、すっかり慣れて、今も痛いはずなのですが、何も気にならず、普通に歩いて生活しています。
W650で、日本全国すべて走りました。そこで出会った人たち、日本の美しい自然!旅をしながら、かけがえのない経験を沢山することができました。
本日、忘れもしない、2月6日の私の命日・・・!
10年前のこの日、堕天使みたいに空からおっこちた瞬間に「いれかわった?」って思ったのは
あの瞬間、一回死んで、次の瞬間に、新しい命がふきかえしたような気がします。
あの日、あの時から不自由な時間を過ごしたことで、生きているって、奇跡だと思えています。
これから先もずっと、新しい命をもらった日のことを思い出しながら、素敵に人生を生きていけたらいいのにな・・・・・☆完☆
悲しい男のなれの果て・・・(この人を見よ!) ― 2013年01月28日
私がKawasakiのW650のクラブに入って、一番最初に会った人が、この写真の右側の人です♪
この写真は、クラブのミーティングに行き、帰りに仲間たちと別れて、私たち2人は中央道組だったので、途中で牧場に立ち寄りアイスを食べているところです♪
こ~~んな話しはどうでも良いんです!!
なんだかんだと、この人とは一緒に飲んだり、一緒にキャンプしたり、一緒にツーリングしたりしていたのですが、この10年間本当に仲良く友情を続けてきたな~~と思っていました♪
私は10年間同じバイクを乗り続けているのですが、この人は、W650を売ってしまったり、高級自転車を買ったり、オフロードを買ったりして、結局またW650を買って、また一緒に走りだし、ようやく落ち着いたかのように見えました。
ところが、海と空が逆転するぐらいで、めちゃ悲しいできごとがおきたのです・・・!!!
この人は最愛の妻を失ってしまったのです!!!子どももいないので1人ぼっちになってしまいました!!
その後の落ち込みようと言ったら、ひどいもので、全く元気になりそうもない感じでした。喪中は当然バイクにも乗りません。メールで「飲みに行こうよ!」と言っても彼からは「まだ無理・・・」
こ~~んな感じです。それでも、たま~~にメールで時々声をかけてきたつもりでした。
そのうち、ぼちぼち走ったり、キャンプも復活してきて・・・何もかもが昔のように戻ったかのようでした。
ある時、この人と一緒に走っていて、サービスエリアで休もうとすると、知らないバイカーの女性に
女性「あら、いいですね!ご夫婦ですか?」
あたし「こんなやつと夫婦じゃないですよ!」
この人「僕の妻は死にました・・・」
その後、休憩してお茶して帰る予定だったのに・・
この人「ゆめちゃん、悪いけど、僕1人になりたいから帰る・・・」
あたし「あっそ!」
この後姿の暗いこと・・・
もう!もう!どうしょうもない・・・・・・・
こういう時は、そっとしておいてあげるのが一番!
そう思っていました・・・・
それでも・・・時々心配になるとメールをしたりしていたのですが、ここんとこ私も忙しくて少しご無沙汰していました♪
したらさ~~~~~~~~
したらさ~~~~~~~~~~~~~~~
またまた空と海が逆転するぐらい、とんでもないことがおきたのです!!!!!!!!!!!!!
突然この人からメールが来たわけです!!!
この人「夢ちゃん!僕!バイク手放したよ、ごめん!」
あたし「キャンプはどうするのよ!もうしないの???」
この人「キャンプ=バイクだから」
年だし(61歳)、もう無理できないんだな~~と思うと、めちゃくちゃ淋しかったけど、事情も事情だし、もうしょうがないし、引きとめるわけにもいかないし、もう、バイクを手放した後に、何をいっても無駄!!と思って、もう何も言うのやめようと思いました。
10年間の友情も、バイクがないのなら、ここで終了!!だな!!
しょ~~~~~~~がないべさ~~~!!
と思っているやさきに、再びこの人からメールが来ました!
この人「実は若い人と結婚しました。・・バイクはダメ!!!」
あたし「何歳の人!」
この人「30歳年下だから、31歳かな・・」
天国に行ったメアリー ― 2013年01月25日
7年前に、乳がんになってしまい、その後は、ずっと病気との闘いでした♪メアリーが天後に行ってしまい、兄はガックリしているのですが、兄は、メアリーに最高の医療をと本当に頑張ったと思います♪
ところが、同じ病気の人でも、腕の良い民間のお医者さんにかかって助かっている方もいるようで、兄は複雑な気持ちなようです♪
もし・・・あの時・・・こうすれば!という後悔が、いつも兄の中にあるようです♪
兄は、ずっとブログを書いていましたが、メアリーが亡くなった後で、「メアリーの死をテキサスの友達に聞いた」という人もいました。兄は、メアリーがいなくなってからというもの、自分よりも悲しい夫のブログ探してを読んだりしていたようです♪
もう以前のことですが、私がメアリーに「私はずっと悪い子だったから、クリスマスにプレゼントにおもちゃをもらったことは1度もないのよ!良い子のなるように、いつも学習雑誌しかもらえなかったの」と言うと、メアリーは私がかわいそうだと、クリスマスに熊の小さなかわいい人形をプレゼントしてくれました♪メアリーは、そんな人なのです♪
メアリーが天国に行った後で、兄と棺の中に大切なものを全部入れてあげようと、メアリーの荷物を整理しました♪兄からのプレゼントのダイヤのピアス♪兄からのプレゼントのカード♪兄と出会った時の洋服♪兄がプレゼントした・・・と・・・棺の中には、兄の愛情がいっぱいになりました♪
メアリーは病気は良くないのに、去年の夏にアメリカに行き、自分の家族にお別れを告げて来て、それから様態が悪化して、全身に癌が転移してしまい、最後には眠ったままとなり、12月21日に眠るように天国に行ってしまいました。その日はMAYA歴の最後の日でもあり、何かが終わった??と感じさせられる日でもありました。
私は、一番大事な仕事をほっぽりなげて兄のところに行って、メアリーのお見送りをしましたが、そんな、さよならの時間は一緒に生きていた時間と同じぐらい大切な時間に思えました♪
教会ではクリスマスには葬儀ができなかったため、26日がお通夜で、27日がお葬式でした♪教会には、クリスマスの飾りが美しく飾られた中、街中の外国人が列席したかのように人が集まり、私の家族がみんな集まり、みんなでお見送りをすることができました♪
私は、メアリーが元気になるためにお坊様に結んでもらった腕の糸を棺に入れる花に結びました♪
そうそう!素敵な先生がいらしていて、その先生は棺の中にアップルパイを焼いて入れてあげていました♪なんか・・・そういうの、めちゃくちゃ嬉しいと思いました♪天国への階段でアップルパイを食べているかも・・・
天国に行ってしまった人の話をしていると、めちゃくちゃ会いたくなるし、大好きな人にもう二度と会えないと思うと、やっぱり生きる楽しみや気力が減ってしまいます。
だけど!たった一度の人生だから、死ぬまでちゃんと生きなくっちゃね!!
女川で「永遠の眠りにつきたい」60代女性の意見 ― 2011年03月21日
ロン毛さんの命日♪世界ラリー♪ ― 2010年04月24日
車椅子がわりに、バイクに乗っていたわけです♪メンバーは地元の友達とか、ホームページに遊びにきてくれた人たちとかからでした。
その当時は、ブログもなかったし、バイクのHP作っている人も少なかったですので、すごくワクワクする出会いのはじまりと思えるような日々でした。
そのMLに、超イケメンのロン毛髭さんが入ってくださりました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
初めまして。
YUMEさんのHPにお邪魔して、MLに加えていただきました。
末永いおつき合いをよろしくお願い致します。
簡単な自己紹介を申し上げます。
年齢は、少年・・少々白髪が・・・悲しい!!。
行動半径は、一応全国。
ホームグランドは、およそ東は房総半島、九十九里浜
南は伊豆半島、奥飛騨
西は長野、白馬、金沢
北は会津、新潟、仙台あたりまでは日帰りします。
乗車バイクは道楽モンで、H/Dロードキング & ファットボーイ
ロイヤルスターツアラー
F6C(ワルキューレ欧州仕様)
龍神の5台を乗っています。
バイク以外には跨らない主義です。(^^”
走りは、ノ~~nビリツーリングから、激爆走ツーリングまで何でもOK。
前約束がない限り、誘われたらどこでも行くのが信条です。
美味しい食べ物が好きです。
走るだけのツーリングは苦手です。
と、言うことでよろしくです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
やばっ!!あたいたち、ニセモノライダーなのに、本物のライダー様が、MLに入られてしまったわ!!!
その後・・・・・忘れもしないけど、
ロン毛さんのサイトの混浴掲示板でやりとりをしていて、最後にロン毛さんが、私にカキコをして、天国に行ってしまい
それから、ずっと私はロン毛さんの最後の恋人と言われていましたが、もうあれから7年もたってしまい、今、このことを口に出す人もいないです。
でも、私の中では、死は悲しいけど、その人と一緒に生きた時間を思い出すことで、これから先もずっと一緒に生きていけると信じているので、あえて日記に書いてみました。
ロン毛さんの夢は、バイクを通して、仲間が出会いミーティングをしていくことでした。その夢には、共感します!!!
が・・・・・あたしは、いつまでたってもバイクの運転が上達しないので、バイクの仲間は、なかなかできません。
でも、最近は女性の仲間たちと走っているので、同じくらいの運転能力で走れるので、仲間がどんどん増えてきました。めちゃ嬉しいです。
で、来週は、WIMAという世界組織の女性ライダーの世界ラリーが日本で行われることになり、それにスタッフとして参加することにしました。
今までずっと愛してきたバイクを通して、なにか自分にできることをお手伝いしたいな!!という気持ちからです。
やはり、運転の、お手伝いは、消極的ですが、薪割りとかは得意なのでがんばりたいと思います!!!
ロン毛さん!!生きてる方たちは、生活していくことに必死で、あたいを守ってよ!!と言っても、忙しくて無理みたいだから、天国から、ラリーが成功するように祈っていてください!!
ドバ(W3のりの友達)も、天国から、あたしを守っていてください!!
ラリーは、来週の4月27日から5月3日までです♪
外国からの、女性ライダーは250人ぐらい来るそうです♪
そんなすごい集まりに参加できるだけでも、幸せですが
みなさんも、無事に全ての計画がうまく行くように、祈っていてくささい♪あと、お天気になりますように!!!!!!
先輩ありがとう♪ ― 2010年04月23日
次郎さんの、お別れの日に、どうしても自分の都合で変更できない会議が入っていて、泣く泣くお別れに行かなかったです。
でも、お花代とか、お香典を友達に持って行ってもらったので、
そのお金を返しに高橋さんの店に行きました。
「○○くるよ」
「マジ?????」
次郎さんの元奥さんなのですが、会うの20年ぶりと思います。
というわけで、すぐ帰る予定でしたが、泥酔して、ようやっと夜中に家まで歩いて帰ってきました。
次の日の朝、めちゃくちゃ気持ち悪いし、目~~はれているしで、職場についたら、みんなが心配してくれて「いや、友達のお弔いの会してたからね」
その時、一生禁酒しよう!!と誓いました!!
そのくらい、すごい気持ち悪かったんですもん♪
★木曜日は、まじ!禁酒!!!
★金曜日は・・・
仕事から帰るときに、バッタリ先輩にあって、夕食を一緒に食べました。ワインのボトル2本あけちゃいましたよん♪
数日なんか気持ちが重かったのですが、先輩とはなしたら、なんかめちゃくちゃ元気になって、さすが先輩だな!!と思いました。
先輩ありがと~~♪一生先輩でいてください!!!
次郎さんの死 ― 2010年04月15日
そこに、背の低いロン毛の笑顔の素敵な男性が突然店に入ってきて、私の友達のMと、めちゃ爆笑しながら、話していたのが、昨日のことのように思い出されます。
その後Mと結婚して、ま・・・・離婚したり、いろいろあったわけですが、私は、つかづ離れずの距離を保ち、会うたびに一緒に歌っていました。
次郎さんは、革命家でした♪
戦争中に、外国の方が、どれほどひどいめにあったのかという「おかされた人権」という劇をずっとやっていて、その後、沖電の組合運動をし、その後は、大地という無農薬野菜の販売店で、無農薬野菜を販売していました。
次郎さんに言われて、圏央道反対のために、立ち木を買って高尾の山を守る運動をしていましたが、その立ち木は1円で売られ、圏央道はできてしまいました・・・。
私は、彼の、革命の話を聞くのが大好きでした。
なんでか忘れたけど、二人で駅弁買ってアジェンデ政権の「サンチャゴに雨が降る」という映画を見たのも忘れられないです。
あのころ、チリのクーデターで、ビクトル・ハラが、自由のために歌い続け、スタジアムで指を1本、また1本と切られながらも歌い続けた・・・・・・みんなの自由のために・・・・・・権力と戦って・・・
60年、70年と、若者が戦って来て、心ある犠牲があり・・・
「私の死を無駄にするな」と、焼身自殺をし、自由を主張した命
忘れられない、いろんなことがあって、今があります。
そんな彼が、突然だけど、一緒に飲もうや・・・と連絡があり、八王子の高橋さん(17歳の時に、髪の毛を切らない約束をして、今だに髪の毛を切らないあたしです!!いわゆるプラトニックな永遠の恋人だけど、今さらなにかおこるわけは絶対ない人)の店に行き、次郎さんと恩だわけだけど、私は頭の中は新潟に行くことでいっぱいで、その日は、挨拶程度で、帰って来ようと思っていたんだけど
高橋さんの店に到着したら・・・・・・・
酔っ払いが、たくさんいて
なんだこれ・・・・・
そのうち、自分も飲んでいるうちに、その、酔っ払い集団にとけこんでしまって、ちょう美女のミキちゃんと仲良しになり、次郎さんとかえったのは最終電車!!!!!!!
「楽しかったね!!また飲もうね!!!!!」
次郎さんは、今は、革命家じゃなくて、キャバクラの女性たちの送迎の仕事をしていました。
それ、本当に素晴らしい仕事だと思いました。
本当に苦労をしている女性たちを守ってあげられる男性って、最高だと思います!!!!!!!!!
先日高橋さんから「次郎さんが倒れたらしいけど、こういうとき男って勇気なくて、詳しく聴けなかったから、聞いてほしい」と連絡があり
で・・・私が電話して聞いたら
次郎さんは、脳梗塞で、倒れてしまったけど、誰も気がつかず、しばらく放置してしまったので、もう、左がわの脳は、機能していない・・とのことでした。
これは長期戦になるかな・・・と思っていたのですが、入院して2日後ぐらいに、息子から電話があって
「父は亡くなりました」
「うそ・・・・・マジ?????????」
今まで一緒に歌った歌が、頭の中を流れ、悲しかったです。
次郎さんの息子は、「お葬式はできないけれど、火葬する前に、知り合いに集まってもらって、お別れをして火葬します」
絶対に行って、お見送りしたかった。その日は、どうしても仕事を休めなかったです・・・・・・・なんとしても休めなかったのです。
友達にお願いして、お花を棺おけの中に入れてもらった・・・・・あとは、次郎さんが火葬される時間、無事に天国に行けるようにお祈りをしていました。
結局、ちゃんと、お別れをしなかったので、いつまでたっても、しめしがつかないぐらい涙がとまらなくなってしまうのは、次郎さんに申し訳ないので、日曜日にバイクで走っている時に「神ともにまして」の讃美歌を歌って走って空に向かって、お別れをしました。走っていると空から雨が降り「これは、次郎さんの涙だな」と思うと、雨のしずく全部を心に受け止めたいぐらいでした。
死は悲しい・・・だけど、生きている意味を教えてくれる(マイ・ライフ)
次郎さんいなくなちゃったから、これからは1人で革命しないと・・・・
やりたい革命
女性解放運動じゃないです!!!
社会変革でもないです!!!
生きていることが最高だと思える時間を
仲間たちと作る、心の革命だな!!
新しいということと味わいのあることと ― 2010年01月06日
「妻が、でかける時に、そんなに汚れた靴をはいていくの?」って言われてしまった・・・と言いながら靴をぬいていだ。
その靴は、確かに汚れていた。
新しいものは、ぴかぴか光って新鮮だけど
味わいはない・・・
はき古した靴には、味わいがある!!1
若い女は新鮮でぴちぴちしているけど
人生を長く歩いた女には、味わいがあるのだ!!!!!!!!
絶対そうなのだ♪
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